月刊グラン1月号のご紹介[ランゲラック選手インタビュー]
人生が変わった7年間だった
大事にしていた夢が、日本でたくさん達成できたと思う
「カップを掲げる姿をファミリーに見てもらいたいんだ」。ルヴァンカップ決勝の前に力強く宣言していたランゲラック。自分が掲げたいのではなく、掲げる姿を見てもらいたいというところに、ファンを大切にする誠実な人柄がよく伝わる。ルヴァンカップ優勝というタイトルを置き土産に母国オーストラリアへ帰る「令和のレジェンド」にラストメッセージをもらった。
この優勝をずっと記憶に
2018年から7シーズンに渡り、グランパスのゴールを守り続けたミッチェル・ランゲラック。今季はクラブ初の外国籍選手キャプテンとして3年ぶり2度目のルヴァンカップ制覇を成し遂げた。来日当初は勝ちに恵まれずJ1残留争いに巻き込まれたこともあったが、ラストシーズンで見事に有終の美を飾った。
―名古屋グランパスで過ごした7年間を振り返ってください。
自分の人生が変わった7年間でした。大きな希望を持って日本にやってきましたが、正直、最初は1年か2年ぐらいかなと思っていました。でもこうやって7年間ずっと日本で暮らして子どもも3人授かりましたし、名古屋グランパスというチームで本当にいろいろな経験をすることができました。
―グランパスで成し遂げることができたと感じていることは何でしょう。
たくさんありますね。まず、自分は子どもの頃から背番号1を背負って、スタメンのGKとしてできるだけ多くの試合に出たいと思っていました。この7年間で出られなかった試合は、おそらく3試合か4試合だったと思います。そしてトロフィーを掲げることも一つの目標でしたし、それも達成することができました。自分が大事にしていた夢が、日本でたくさん達成できたと思っています。
―楢﨑正剛さん(現アシスタントGKコーチ)から背番号1を託された時はうれしそうでしたね。
すごくうれしかったですね。他のクラブはだいたい1年とか2年で背番号1の選手が変わっていきますけど、このチームでは本当に長い期間でナラさんが1番を付けていて、そのナラさんから引き継ぐことができたのは本当に誇りに思っています。ナラさんほどの成功をつかめたとは思っていませんが、それでも長く1番を着ることができたのは、本当に良かったなと思っています。
―背番号1を引き継いだ頃は、クラブとしても苦しい時期でした。
苦しい時期もありましたけど、このクラブにはとても親切な人がたくさんいましたし、とてもいいハートを持った人がいました。それらの方々が雰囲気を上げてくれたことで、みんなで楽しむことができました。特に1年目と2年目は難しい時期でしたが、そういうキャラクターの仲間がいたことで乗り越えられたと思っています。
―乗り越えられたことで、ルヴァンカップ優勝というタイトルも手にしました。
正直言って「ホッとした」という気持ちがありました。サッカーをしていく中で、自分の中で決めていた目標がありますけど、このトロフィーを掲げるというのもその一つで、それを達成すると選手としてはまずホッとするんだな、と分かりました。ファミリーの方々も長い間タイトルを待ち望んでいたと思いますし、このチームの一員である以上、ものすごい責任を感じていました。
続きは『Grun』2025年1月号をぜひご覧ください。
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