月刊グラン8月号のご紹介[椎橋慧也選手インタビュー]

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名古屋グランパスのボランチは群雄割拠。
近年は、ボールを狩ることができる米本拓司と稲垣祥の「米稲コンビ」が鉄板となっていたが、そこに割って入ったのが"縦パスの名手"椎橋慧也だ。
チャンスを引き出すアグレッシブなパスを持ち味に、タイトル奪取に向けて攻守の両面を活性化させる。

グランパスはタイトルを獲らないといけないチーム
でもそれも積み重ね。努力していくしかない

後悔のないサッカー人生を送りたかった

今季移籍加入した選手の中でも、特に驚きを持って迎えられたのが椎橋慧也だった。前所属の柏レイソルでは紛れもない主力。昨季は天皇杯で決勝に進出するなど充実の時を迎えていた。しかしグランパスからのオファーを受けた椎橋は安定を捨て、あえて困難な道を選んだ。

―加入してまもなく半年になりますが、改めてグランパスに移籍を決めた経緯を教えてください。

去年は柏で天皇杯の決勝まで進んで、タイトルまであと少しのところまで行きました。地元のチームでタイトルを獲りたいという思いもあったんですけど、グランパスからオファーをいただいて、本当にものすごく悩みました。でも一つ挑戦というか、安定を全部捨ててグランパスでいい競争をしたい、チャレンジして選手としてもう一段階上に行きたいと思って移籍を決意しました。

―グランパスには米本選手、稲垣選手と、リーグを代表するボランチが在籍しています。思い切りましたね。

環境を変えることに不安もありましたけど、まだ守りに入る年齢じゃない。もちろん安定を望んで移籍しないことも選択肢としてありましたけど、「そんなサッカー人生はつまんないな」って思って、その強力な二枚看板にチャレンジしていこう、と。チャレンジして後悔のないサッカー人生を送りたいなと思ったんで決めました。

―そういったチャレンジ精神はいつ頃からのものですか。

僕は小さなころから特別にうまい選手でもなかったし、高校でも1年生からバリバリ試合に出ていたとかでもないので、常にチャレンジすることは意識してきました。よく言いますけど「やらない後悔よりもやる後悔」って僕も思うので、飛び込んでみようと思いました。

―サッカーを始めたきっかけは。

三つ上に兄がいるんですけど、兄が小1の頃に地元の小学校のチームに入ったのについていって、自然に始めたみたいな感じです。

―弟の方がお兄さんよりうまくなるケースは、サッカー界ではよくありますよね。

どうですかね、でも兄貴よりも努力をした自信はあります(笑)

―中学年代は地元の中学校でプレーしていました。Jリーグの下部組織ではなくて、中体連からプロになるにはかなりの努力が必要だったと思います。

めちゃめちゃ努力しました。同じ中学校に(柏)レイソルやジェフ(ユナイテッド市原・千葉)のジュニアユースに行っている子もいましたけど、絶対に負けたくなかったし、同じ中学校の同級生で高め合って、3年生の最後の大会では全国大会に出場しました。きつかったですけど、なんか楽しかったですね。


続きは『Grun』2024年8月号をぜひご覧ください。

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椎橋慧也

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