月刊グラン6月号のご紹介[ハ チャンレ選手インタビュー]
普段はとても温厚で紳士的。しかしピッチに入れば、あふれんばかりの闘争心を見せて敵を抑え込む。タイトル制覇が最大目標となる長谷川健太体制3年目。韓国からやってきたDFリーダーは堅守を誇る名古屋の新たな壁として存在感を増すばかりだ。
名前をコールしてくれた時にスイッチが入った
日本の応援スタイルは「すごい」の一言
今季のグランパスはDFラインが一新され、開幕前は不安視されることも多かった。事実、開幕戦は3失点で惨敗。しかし第2節のFC町田ゼルビア戦以降は新加入のハ・チャンレがセンターバックの中央にどっしりと構え、第9節・セレッソ大阪戦までの全試合を最少失点以下で抑えられるようになった。
―長谷川監督は、好調に転じた要因の一つとして、ハ・チャンレ選手がすぐに日本のサッカーになじんでくれたことが大きいと言っていました。
まず、自分がこの新しいチャレンジをずっと願っていたということもありますし、自分が本当に行きたかったJリーグの舞台ということもあります。グランパスからオファーが来た時も、早く日本に行ってグランパスのチーム文化やマネジメントを学びたかったし、ここまで来た以上は、自分の能力を証明して結果を出さないといけないとずっと考えていました。もちろんまだまだ生活や言葉の問題もあって100パーセントなじんでいるわけではないですけど、まだ自分が見せていないプレーやパフォーマンスもあると感じているし、そういうところもこれからもっと出していきたいので、期待してほしいと思います。
―-いつ頃からJリーグでプレーしたいと考えていたのですか。
高校生ぐらいの時です。韓国のプレーヤーが高校や大学からJリーグに入っていくのを見てうらやましいなと思っていましたし、その選手が活躍している試合を見ることもできました。Jリーグはサポーターも多いし、環境もシステムも優れているという話を聞いて、すごく興味を持ちましたし、Jリーグに行きたいとずっと思っていました。
―サッカーを始めたのはいつ頃ですか。
小学校3年生の時です。通っていた学校にサッカー部があって、親に『入りたい』と言いました。韓国でも最近は学校のサッカー部は減っていますけど、プロサッカー選手になりたいという夢を持っている子どもはたくさんいると思います。
―プロ選手になれるかもしれないと感じたのはいつ頃でしたか。
特に絶対プロになれると感じた時期はなかったですけど、でも自分はプロを目指して本当に100パーセントを出し切って努力をしていたので、『いつかは絶対になれるんだ』と、自分のことをずっと信じて練習を続けていました。
―幼い時からDFだったのですか。
基本的にはそうですね。大学の時に2年間くらいFWをしたこともありますが、それを経験したことで、相手のFWの動きも読みやすくなりました。
―2017年に韓国・仁川ユナイテッドでプロのキャリアをスタートさせました。
仁川に入る時もなかなか難しい状況でした。契約期間も1年だったので、まずこの1年の間に自分ができるということを証明して生き残らないといけないと思いながら、本当に毎日の練習を頑張っていました。
―その時に意識していたことは。
1年目で経験もなかったし、ベテランや年上の選手と比べたら技術的にも足りないところがいっぱいあったと思います。だけど若さというところを生かして、どんどん声を出して、ピッチに入った時は自分がやれることをやりつつ、自分のストロングを絶対に出していこうと、勝負をかけていました。
続きは『Grun』2024年6月号をぜひご覧ください。
Gentle But aggressive
ハ・チャンレ
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