月刊グラン7月号のご紹介[ランゲラック選手インタビュー]

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苦しい時期は眠れぬ夜も
今はプラスに働いている

5月14日に国立競技場で行われた第13節の鹿島アントラーズ戦。
先発したGKミッチェル・ランゲラックは、Jリーグでの出場試合数を185に伸ばした。
あのドラガン・ストイコビッチ氏を抜き、グランパスに在籍した外国籍選手で単独最多。
6年目のシーズンも揺るぎない安定感を誇る絶対的守護神に、
185試合の軌跡を振り返ってもらった。


 オーストラリア代表GKのミッチェル・ランゲラックがグランパスに加入したのは2018年シーズン。チームは1年でJ1復帰を果たし、どん底から這い上がろうとしている時だった。ランゲラックは周囲の期待通りに開幕戦からスタメンの座をつかみ取ると、得意のシュートストップを武器に、守護神としてゴールマウスを守り続けている。

―鹿島戦で、外国籍選手でクラブ史上最多のJリーグ通算185試合出場となりました。

素直に誇りに思っています。やっぱり簡単な数字ではないと思いますし、外国人選手が異国の地で、こういう記録を持てるということは非常に素晴らしいことだと思います。グランパスは自分のキャリアで一番長く在籍するクラブになりました。こうやってクラブに対して長く愛情を持ってプレーできることもなかなかないことですし、このクラブに対する愛は、日に日に増しています。そういった意味でもとても誇らしく思っています。

―最初に名古屋に来た時、これだけ多くの試合に出場できると考えていましたか。

全く考えられなかったです。加入したばかりの頃は毎日の練習でしっかり自分のベストを尽くして、クラブに対して良い結果を残すことだけしか考えていなかったですし、それを続けていく中でクラブに対して愛情が生まれてきて、『もっとグランパスに貢献したい』という気持ちが強くなっていきました。結果としてこういう数字を持てたことは、本当に特別なことだと思うので、心の底から嬉しいですね。

―新体制発表会でのサプライズ来日が、グランパスファミリーとの最初の出会いでした。名古屋やファミリーの最初の印象は。

一番の印象としては、ピッチに立った時に自分のチャントを歌ってくれたり、オーストラリアの国旗を掲げてくれたりしたことですね。そうやって自分のことを『ウェルカム』で迎え、応援してくれたことがとても印象に残っています。その後のホームゲームでもたくさんのファミリーがスタジアムに詰め掛けて、素晴らしい雰囲気でチームを後押ししている。それを見て『良いクラブだな』と思った記憶があります。

 ランゲラックがグランパスに加入した時期は、1999年から長く正GKとして活躍してきた楢﨑正剛(現アシスタントGKコーチ)の現役最終盤。ランゲラックは19年にその楢﨑から背番号1」を継承した。そして指揮官も風間八宏氏、マッシモ・フィッカデンティ氏、長谷川健太氏と変わる中、どの監督からも信頼されGKのファーストチョイスになっている。

―日本で印象に残っている試合を三つ挙げるならば、どの試合になりますか。

まず2018年の湘南ベルマーレ戦と2019年のヴィッセル神戸戦。この2試合はチームとして非常に難しい状況の中での試合だったし、どうしても結果が必要でした。実際に勝ち点を取れたという意味でも印象に残った試合ですね。もう一つは、リーグ戦の185試合には入らないですけど、21年のルヴァンカップの決勝を挙げさせてください。クラブがタイトルを必要としていた中で、コロナの影響もあったり、AFCアジアチャンピオンズリーグで連戦があったり、本当に大変なシーズンでした。その中でクラブの財産となるものを勝ち獲れたのはとても嬉しかった。でももっともっとこれを継続して、タイトルを獲得していきたいと思っています。

―18年の湘南戦は、シーズン最終戦で奇跡の残留を果たした試合でしたね。(編集部注・降格圏の16位で迎えた最終節。14位の湘南に勝てばJ1残留決定だったが、前半に2点を先行される苦しい展開に。しかし後半、ジョーが2本のPKを決めて2-2で勝ち点1を積み上げ、得失点差で15位となり残留できた)

それまでのキャリアで、トロフィーとかタイトルの懸かった試合を戦った経験はありましたけど、あの試合は正反対の状況でした。それでも『自分たちはやり遂げないといけない』という立場でしたし、それをチームでしっかり戦って成し遂げられたことは、自分のキャリアにおいて、サッカー選手として忘れることのない試合になりました。

―19年の神戸戦も残留争いの中、3-0で勝利した試合ですね。(編集部注・9月に監督交代。その後もなかなか勝利を挙げることはできなかったが、第31節の神戸戦は前田直輝=現ユトレヒト=の2ゴールなどもあり3-0で勝利。その勝ち点3がJ1残留に結びついた)

やっぱり、どうしても苦しかった時の試合の方が印象に残っていますね。18年と19年はチームとしてのまとまりがあまり良くなかったので選手たちも苦しんでいたと思います。ただ逆に選手同士はしっかり結束して、マル(丸山祐市)やシン(中谷進之介)、ナオキ(前田)を中心に団結していた。それも含めてあの神戸戦は強く印象に残っています。

―風間監督は超攻撃的サッカーで、守備陣には大きな負担があったように思います。それが逆に、自分の成長につながったという面もあるのではないでしょうか。

あの時期は、チームの成績も決して素晴らしいものではありませんでしたし、いいことばかりではありませんでした。ただ、それで自分のメンタルタフネス(精神的な強さ)は鍛えられたと思います。最初の2年間は『今週末、どうやったら勝てるのか』と考えて眠れない日もありました。自分がどうやったらチームにいい影響を与えられるか、そういう難しい時間を過ごしたからこそ強いメンタリティーを持てたと思うので、それは確実に自分のキャリアの中でプラスに働いていると思います。


続きは『Grun』2023年7月号をぜひご覧ください。

grun-23-07.pngGRUN INTERVIEW
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