月刊グラン8月号のご紹介[柿谷曜一朗選手インタビュー]

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もっと気を引き締めて
チームを助けられるプレーを

グランパスは、リーグ前半戦を終え11勝4分5敗。開幕から6連勝、9試合連続無失点など好調なスターを切った。その中で、新加入選手の目玉とも期待された柿谷曜一朗は、全試合に出場し2ゴール。得意な攻撃面だけではなく、前線からの守備でも大きくチームに貢献している。

―前半戦のチーム成績をどう感じていますか?

 11勝ということは、半分以上勝てていると捉えるべきかなと思いますけど、負けを引き分けにできたし、引き分けを勝ちにできた試合がもっとあったなって感じています。川崎フロンターレに離されないためにも、そこをもうちょっとこだわっていきたかったですね。

―序盤はいいスタートを切れましたが、後半はちょっともったいない試合もありました。

 フロンターレはシーズンを通して負けずにやっていますし、自分たちももう一歩のところを突き詰めていかないと上には届かない。自分たちのやるべきことができた試合は勝ちに繋がっているので、もう一つ何が足りないのか考えるよりも、まずは相手より走る、よりハードワークするというところにフォーカスして、もっと気を引き締めて闘わないといけないと思います。

―個人のプレーとしてはどう感じていますか?

 勝つための得点を取る、ゴールを取れるチャンスをつくるという仕事が全くできていないというか、そこには責任を感じています。勝つためにはゴールをしないといけないし、ゴールを取るためにピッチに立っていて、それを期待してくれている人たちがいっぱいいる中で、あまりにもチャンスが少なすぎる。シーズンの半分が終わって自分のふがいなさを感じるし、後半戦はもう一度自分の意識をゴールに向けて、今までやってきたことをベースにして、チームを助けられるプレーをしたいと思います。

―その中でもスタンドをうならせるプレーも随所にありましたが。

 全然まだまだですわ。その回数も足りないですし、そもそもそれがゴールに繋がらないと意味がない。どれだけいいボールを渡しても、ゴールにならなかったらアシストも付かないし、僕がいいボールをもらっても決められなかったら、その選手にアシストがつかない。結果ってそういうもんだし、ゴールを取ることでチームも落ち着きますからね。そういう役割をしっかりこなしたいと思っています。

―守備での貢献も目立ちます。稲垣祥選手が「曜一朗君はグランパスに来て、守備の面白さに目覚めている。と言っていました。グランパスの守備の面白さをどう感じていますか?

 ボールを奪う能力に優れたボランチがいるので、その選手たちが一番いい状況でアタックできるように、自分たちが一つでもコースを消すようにしています。相手のボールホルダーに対して一つ行く二つ行く、なんなら三つ目まで行こうとヤマ(山崎凌吾)とも話をしていて、それがハードワークかどうかは分からないですけど、相手の攻撃の始まりに対して圧をかける、ゾーンで守る時もボランチにちょっかいをかけるとか。守備から攻撃はタイミングがありますけど、攻撃から守備への切り替えは絶対におろそかにしないということは心がけています。

子どもの頃はC大阪でGK
本当はピッチャーになりたかった

大阪生まれの柿谷は、4歳からセレッソ大阪の下部組織に所属。Jリーグを身近に感じる環境で成長し、クラブ史上最年少の16歳でプロ契約を結んだ。

―サッカーを始めたのはいつ頃?

 4歳でセレッソのスクールに入ったのがきっかけですね。小学校4年生まではGKをやっていたんですよ。

―どうしてGKに?

 GKが一番面白いじゃないですか(笑)。小さい頃はシュート練習ばかりで、その時のGKをやるのがほんまに楽しくて、背番号もGKとフィールドの両方がある16番をずっとつけていました。基本はGKで、たまにフィールドをやるという感じでした。

―フィールドプレーヤーに専念したきっかけは?

 身長がなかったし、5年生の時にコーチから『頼むからフィールドだけやってくれ』って言われてGKを辞めた感じです。まあ自分でもGKよりフィールドの方が向いているんだろうなって思っていました。

―練習場に一番にやってきて、最後までボールを蹴っていたとか?

 そうですね。2時間くらい前に練習場に入って、練習が終わっても1時間か2時間くらい蹴っていましたね。でも、別にサッカーだけが好きというわけじゃなくて、学校ではドッジボールがめっちゃ楽しかったし、家では、家の前に壁があったので野球をやっていました。本当にピッチャーになりたかったんですよ。ぷにぷにのカラーボールを投げるとすごい変化球が投げられて(笑)。その場その場でできる球技に全力を注いでいました。

―中学2年生の時には、高校年代のJユースの試合にも出ていたそうですが。

 小学4年生の時には、上の学年の人たちとプレーしていましたし、6年生でも中学生たちとやっていたので、僕の同期はずっと2歳くらい年上っていう感じだったので、普通の感覚でした。

―体力的なハンディがあったと思いますが?

 試合ではそんなに走っていた覚えがないし、ボールがきた時しか動いてなかった気がしますね。一番記憶にあるのは、ユースの選手たちが長距離走とか、みんながしんどそうに走っている時に、僕はグラウンドの真ん中で監督とボールを蹴っていたんですよ。もし僕が高校生だったら『なんで甘やかしているんだ』って先輩たちも怒りそうだけど、中2のあんな小さなやつだから無理かって、みんなめちゃくちゃかわいがってくれて、ノーストレスでやっていました。

―その頃はどんなプレーヤーでしたか?

 ドリブルは今よりももっとしていたかな。その頃は、試合に勝つこととかゴールを決めることに一切興味がなくて、サッカーをしていることが楽しかった。だから1対1で抜けたらそれで満足していたって感じです。

―今と意識がかなり違いますね。

 そうですね。でも今も変わっていないのは、ファンの皆さんは高いお金を払って見に来てくれているじゃないですか。その人たちが試合を見終わって家に帰るまでに『あのプレーはすごかったよね』とか『柿谷は何をしたんだろう』とか、話題になってほしいんですよ。自分が小さな頃に試合を見に行っている時も、セレッソに入っているからセレッソを応援しないといかんのですけど、実際それはどうでもよくて、相手チームでもすごいプレーをする選手をガッツリ見ていて、帰りの電車の中ではその人のプレーばかり頭に浮かんでいたし、プロになったらそういう選手になりたいなって思っていました。そこは今も変わっていない部分です。


続きは『Grun』2021年8月号をぜひご覧ください。

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