月刊グラン7月号のご紹介[金崎夢生選手インタビュー]
「タイトルが欲しい」気持ち重なる
ナラさん、トゥーさんについていった
三重県津市で生まれた金崎夢生は、2007年に滝川第二高から大分トリニータに加入。翌年のナビスコ杯(現・ルヴァン杯)ではチームを優勝に導き"ニューヒーロー賞"を獲得した。
しかし大分は09年、J2降格とともにクラブの経営難が発覚。金崎は以前からオファーを受けていたグランパスへの移籍を決意した。
当時、移籍を決めたのはステップアップという面もありますが、やっぱりリーグ優勝したいという気持ちが強くあったから。もちろん大分でもそれを考えていましたが、財政的にもいろいろある中で、自分としては優勝を狙っているチームでプレーしたかった。グランパス自体もそのタイトルがなくて是非ともほしいという話をGMの久米(一正)さんからもらって、自分の気持ちと一緒になったことが一番の移籍の要因でした。僕と同時にトゥーさん(田中マルクス闘莉王)やダニルソンとか補強も積極的で、「クラブは本当にタイトルを獲りたいんだ」と強く感じたことを覚えています。
小さな頃からの憧れだったというストイコビッチ監督の下、若手のサイドアタッカーとして上り調子だった金崎は、すぐにチームになじみ、主力として躍動する。開幕戦で生まれたチーム初得点は、金崎が上げたクロスをケネディが落とし、玉田圭司(現Vファーレン長崎)が押し込んだもの。第2節のホーム開幕戦では、グランパスでの初ゴールをサポーターの目の前で決め切った。
移籍した最初の年でしたし、開幕から気合が入っていたのは確かですね。でも本当にグランパスというチーム全体、選手はもちろんですけどフロント、裏方のみんなが「今年は絶対にタイトルを獲るぞ」という雰囲気がありました。だから自分も自然にそういうプレーになっていたと思います。
僕の役割は推進力というか若さを出して恐れずにどんどん前へ行くこと。その時の自分の一番良いところをチームのみんなが引き出してくれました。外国籍選手も多かったし個性的な選手が揃っていたので、まるで海外のチームのようでしたね。ナラさん(楢﨑正剛・現CSF)やトゥーさんがチームを引っ張って、自分たち若手はそれについていくという感じでした。
初得点は確かセットプレーから。自分の前にこぼれてきて右足を振ったら入ったという感じで、前めの選手として早く結果を出したい気持ちがあったので良かったなと。豊田スタジアムのゴール裏の雰囲気もすごく良かったと思いますし、優勝した10年以降も結構良い成績を残していたので、グランパスのサポーターはすごく喜んでくれていたイメージがあります。
当時のメンバーを振り返ると、金崎とポジションが被る攻撃的な選手には、ブルザノビッチ、マギヌンといった技巧派の外国籍選手や、日本代表の玉田、10番を背負う小川佳純、左サイドのスペシャリスト三都主アレサンドロ、スピードスターの杉本恵太など多士済々。田口泰士(現ジェフ市原・千葉)や花井聖(現カターレ富山)といった若手もアピールする機会を狙っていた。
もちろんポジション争いは激しかったですね。けがをして出られない選手がいると、次に出てくる選手が同じようにというか、それ以上に良いプレーをしていました。先発の11人だけではなくチーム全体の意識が高くて、選手層も厚かったと思います。
選手同士の仲も良くて、僕は当時寮に入っていたので若手とは仲が良かったですし、トゥーさんやズミさん(小川佳純)とか祐樹くん(巻祐樹)にはよくご飯に連れて行ってもらいました。だけど、ただ単に仲がいいというわけではなく、勝つための集団というか結果を残すための集団という雰囲気がありました。トゥーさんを見てもらえば分かると思いますが、ピッチの上では本当に厳しくて、練習でも絶対になあなあにはならないですし、本当に勝つ集団としてまとまっていたと思います。
グランパスに関わるすべての人々の悲願だったJ1リーグ制覇。
その機運が高まる中で就任3年目のストイコビッチ監督が手に入れた武器の一つが、若く才能あふれるサイドアタッカー金崎夢生だった。
今季、8年ぶりにグランパスへ舞い戻った金崎選手に、当時とこれからを"MU目線"で語った『Grun』2020年7月号をぜひご覧ください。
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