「はじめよう!つづけよう!スポーティブ・ライフ in 瑞穂」に楢﨑正剛CSFが出演
11月23日(土・祝)、パロマ瑞穂スポーツパークで開催された「はじめよう!つづけよう!スポーティブ・ライフ in 瑞穂」において、名古屋グランパスの楢﨑正剛CSF(クラブスペシャルフェロー)がスポーツトークライブをおこないました。
平成30年2月に名古屋市が策定した「第2期名古屋市スポーツ推進計画」に基づく核事業の内、スポーティブ・ライフ月間の一大イベントとして実施されたこの日の「はじめよう!つづけよう!スポーティブ・ライフ in 瑞穂」。少し体を動かしただけでも汗ばむ程の暖かな天候に恵まれた中で実施され、名古屋グランパスのホームスタジアムのパロマ瑞穂スタジアムには様々なスポーツ体験エリアやブースが出展され、多くの来場者で賑わいを見せていました。
トークライブ開始に先立ち、名古屋市体育協会副会長:後藤泰之氏による主催者を代表したご挨拶がありました。
「今日は良い天候に恵まれた中、ご来場ありがとうございます。
日頃、名古屋市体育協会が実施している事業に、ご支援・ご協力頂き、誠にありがとうございます。
名古屋市では、市民の皆様がスポーツを楽しむきっかけになるようにと、10月と11月を『スポーティブライフ月間』とし、様々なスポーツイベントや事業をおこなっており、その中のひとつとして今回のイベントもおこっております。
今回は、名古屋グランパスで約20年にわたって活躍された楢﨑正剛氏をお迎えし、そのサッカー人生で学んだこと等、いろんなことがお聞きできると大変楽しみにしております。」
そして大きな拍手に迎えられて楢﨑氏が登場、トークライブがスタートしました。
皆さん、おはようございます。名古屋グランパスの楢﨑です。今日こんなに良い天気に恵まれたのは僕のお陰です(笑)。今日は宜しくお願いします。
−大勢の方々の前でお話しするのは得意な方ですか?
いえ、そんなに得意ではないですよ(笑)。
−今日は色んな一面を見せて頂けたらと思いますので、宜しくお願いします。
10月にJリーグアウォーズ功労選手賞受賞おめでとうございます。これは名古屋グランパスでも日本代表でも守護神としてゴールを守ってきた成果だと思いますが、受賞が決まった時の印象を教えて下さい。
僕がどれくらい貢献してきたかはあまり自覚がないのですが、多くの試合に出場しましたし、長年プレーもしてきたので、そういう意味合いもあっていただけた賞なのかなと思っています。表彰して頂けたのはとても嬉しいです。
−長く試合に出られてこられたことは、クラブでも代表でも必要とされた選手、素晴らしい選手だったのではないでしょうか?
自分としては、自分を高めて、"試合に出たい"という一心でやってきて、途中、監督が替わることで、要求も色々と変わりましたが、常に求められようと思ってやっていたことは確かです。
−J1通算出場試合数631は歴代一位ですが?
まもなくG大阪の遠藤さんに抜かれるかもしれないと思いますよ(笑)。確かに自分が一番に立っていることは自分にとって誇りだと思っていますが、これからこれを超えてゆく選手が多く出てこないと日本のサッカーのためにもならないと思っていますし、僕もそれを望んでいます。
−サッカーを始めたのは小学校4年生と伺っていますが、割と遅い時期から始めたんですね?
今は幼稚園や小学校の低学年から始めている子が多いと思いますが、僕の場合はスポーツ少年団が4年生で入れるところだったので、そこからスタートしました。
−始めたきっかけは何だったのでしょうか?
そもそもサッカーは好きでしたし、仲の良い友だちもそこへ入る子が多かったので、僕も一緒に入りましたが、サッカー自体はもっと前から遊びでやっていました。
−もともとGKから始めたんでしょうか?
4年生の時からGKは始めましたが、FWや他のポジションもやっていました。小学校の時はFWをして点を取って、PK戦ではGKをやるという貪欲さはありましたね。
−それは中心選手だったということでしょうか?
僕以外にも2、3人はそういう子がいたので、その子たちに負けない様にやっていました。GKに専念するようになったのは中学生の途中からですね。どちらかと言えばGKの方が得意で、プレーしていて気持ち良く出来ていましたので、そこからはGKに専念するようになりました。
−中学の時から身長は大きかったのでしょうか?
中学では背の順では一番後ろでしたし、その時のコーチも、今を思えばGKをやって欲しいと思って、GKをやることを薦めてくれていたと思います。
−楢﨑さんや元日本代表GK・川口さんが活躍するようになって"日本の守護神"という言葉が世間に広がったと思いますが?
僕は『神』ではないのでそう呼ばれると少し気恥ずかしいですが...(笑)。
川口選手の方が年上ですし、派手な活躍もされていました。彼のプレーを見て憧れ、追い掛けていた部分はあります。今はライバル関係でもないですし、いいおじさん同士仲良くやっています(笑)。
−一流を目指すものとして、当時はお互いを意識しながらやっていたのでしょうか?
(クラブでやっている時は)相手に負けないつもりで、同じ(日本代表)チームでやっていた時は、お互いを高め合いながらやる関係でした。
−日本代表戦で印象に残る試合はありますか?
W杯に出た試合や勝った試合は印象に残っていますが、フランスへ行って0-5で負けた試合とか悪いものの方が印象に残っているかもしれないです。ただ、先輩たちが少しずつ築き上げてきた歴史があって、今の日本のサッカーがあると思っています。
−最近のサッカー少年の将来の夢を聞くと、海外でのプレーを望む子も多いと思いますがいかがでしょうか?
昔とは全く違います。今はJリーグを経験しなくて海外に渡る選手もいますし、レベルアップもしていると思います。
−サッカー界ではチームをすぐに移籍してゆく選手が多いように思いますが?
それはサッカー界では良くあることだとは思いますが、全て海外が良いわけではないですし、Jリーグも良いところは沢山ありますので、クラブに所属している選手には、まずはJリーグを盛り上げるという意識は持って欲しいと思います。
−名古屋グランパスで20年プレーしてきましたが、どんな思い出がありますか?
名古屋に移籍して来ての20年ですが、最初の1年はなかなか上手くいかなくて、信頼してもらおうとしていた1年でした。優勝したシーズンもとても良く覚えていますが、やはり、J2に落ちたことが一番印象に残っていますね。時間が経つと忘れてしまうことも多いですが、まだ三年前のことですし、このスタジアムでしたので非常に印象に残っています。
−最後の湘南戦では、まさか落ちることはない、多分大丈夫だろうと、多少皆が思われていたのでしょうか?
大丈夫だろうとは思ってはなかったと思いますが、危機感の中、自信は持たないといけない、諦めてはいけないとは思っていました。ただ、その試合が原因で落ちたわけではないですし、一年通しての結果だったと思います。悔しかったです。
−J1とJ2の違いはいかがでしたか?
注目度も高かったですし、行ったことのないようなスタジアムにも行きました。移動も多かったですし、全てが違っていました。こういう経験は一年だけにしよう、という気持ちでした。2年目3年目とJ2にいるとJ1には戻れないという危機感も持ちながら戦っていました。
・来場者からの質問
−毎試合心掛けていたことは何ですか?
自分にとってその試合でいつもベストなパフォーマンスが出せるよう、普段の練習やその日のコンディション調整、イメージトレーニング等をおこなって、毎試合、ベストな試合になるように心掛けていました。なかなか続けていけるわけではないですが、向上心を常に持ってやっていました。
−うちの子どもは、前はサッカーが大好きだったんですが、最近はあんまりです。楢﨑さんはサッカーを始める前にはどんなことに興味がありましたか?
僕は小学校4年生からサッカーを始めたんですが、それまでは親が野球をやっていたので、休みの日に一緒にキャッチボールをしたり、ソフトボールや水泳をずっとやっていました。様々なスポーツをやった経験が、後に色々とサッカーに役だったと思っていますので、好きなことがあればやった方が良いと思います。それでサッカーが好きになってくれれば嬉しいですね。今は無理にサッカーをやらせなくても、きっとそのうちにやってくれるようになると思います。
−これからスポーツを始める子どもさんたちに向かってメッセージをお願いします。
体を動かすことは心にも体にも良いことだと思います。色々なスポーツに触れて友だちも増えましたし、サッカーを通じて勉強させてもらったことも一杯ありました。今は体を動かす環境も少なくなっているので、外に出て体を動かすことはすごく大事です。最近、年令・性別関係なく誰でも参加できるウォーキングサッカーも体験してきましたが、是非ともスポーツを楽しんでやって欲しいと思います。
−今後の抱負をお願いします。
目標は日本のGKがさすがだと思われる、世界から評価される様なGKを自分でも育てることが出来ればと思っています。そして、名古屋グランパスがビッグクラブになりそれが続くように、何か力になれればと思います。そして、プライベートは健康であることが一番です(笑)。今日はありがとうございました。
最後、楢﨑氏の心強い抱負のコメントで来場者の方々が満足されたところで、この日のトークライブは終了となりました。