月刊グラン3月号のご紹介[相馬勇紀選手インタビュー]

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サッカーを「辞めたい」と思った高校2年生

大学4年時はグランパスの活動も並行しながら関東大学リーグ戦で9ゴール11アシストの結果を残し、1部復帰直後の早稲田の優勝を支えた原動力となった。2018年、関東大学サッカーの中で最もその名を轟かせた存在であることは間違いない。しかし、そんな彼も大学生活を順風満帆にスタートさせた訳ではない。

 1年の最初は入部できなかったんですよ。入部した次の週からはベンチに入っていましたけど、前期は出場がありませんでした。初めて出場したのは夏のアミノバイタルカップ(総理大臣杯の関東予選)の筑波戦です。負けたのですけど、最後の5分くらい出ました。次に出たのが天皇杯(東京都)予選決勝のFC町田ゼルビア戦で、そこで初アシストをしたんです。後期は8試合くらい出たものの、すべてベンチスタートでした。

 入部ができなかった経緯を話すと、その当時はまず学生が(新入生を)見て、最後にスタッフが承認する形となっていたんです。今はスタッフが1カ月見て決めることになっているのですが。その中で、当時の4年生は僕の入部にOKを出していたらしいのですが、三菱養和の先輩で1個上の飯泉涼矢君(現FC今治)が、「あいつはまだダメだ」と1カ月引き延ばしたそうなんです。

クラブチームと部活動というのは良くも悪くも違いがあり、そこの水の温度差に慣れるまでに時間を擁する選手は少なくない。相馬もその一人だった。とはいえ、入部段階でそのギャップを埋めることができたことが彼の成長に繋がったことは間違いないだろう。そういう意味では、早稲田という場所が彼を成長させたとも言える。

 今となっては、すぐに入部できなかったことは良かったと思っています。それまでは、自分さえできていれば良いというところが残っていたので。クラブチームと部活動は全然違う。"サッカーだけの集団"ではないし、私生活でも一緒に過ごすので人間関係も難しくなりますから。

もちろん4年後のプロ入りを目指して早稲田の門を叩いたわけだが、小学校2年生から三菱養和でサッカーを始めた彼が"プロ"を現実的に考え出したのは高校1年生の時だ。

 高校2年生の時に早生まれの影響もあって国体に出られたことは結果的に大きかったですけど、ユースに上がった時にはもう現実的には思っていましたね。自分たちが落としてしまいましたが、当時はプレミアリーグにいたので。そこで活躍できれば日本のトップですし。中学生まで三菱養和の調布ではTリーグ(東京都リーグ)しか戦ったことがなかった中で、中学校3年生の終わりに初めて関東大会に出て、自分に少し自信が出始めました。それから高校に上がって、プレミアリーグの3節目くらいで青森山田から点を取った時に、そこで自信が確信に変わりました。

ただ、順調にステップアップを踏んだわけではない。早生まれの選手というのは同学年の4月に生まれた選手と比べると成長が1年近く遅れているので、特に体が成熟しきっていない育成年代では、その成長差が与える影響はとても大きい。もともと小柄な相馬は特に、その壁に幾度もぶつかってきた。

 一番感じたのは中学生の時ですね。中1の途中から中2まででフィジカルの差を感じ始めました。中学生は成長期が全然違いますから、僕は足が速かったものの、みんなは身体が大きくなっていって、フィジカルが勝てなくて自信があまり持てなかったです。

 高校2年の夏くらいも全然うまくいかなかったんですよね。試合後に泣いていたこともありました。後期にヴェルディユースと戦ったのですが、その試合後に初めて自分の口から、「もうサッカーをやりたくない」と言ったと親から聞きました。自分では全く覚えていないんです。その時のヴェルディには、今Jリーグで活躍している選手もたくさんいて0-6くらいで負けて、かつ4失点目は自分のミスからのもの。コーチにも泣きながら話していました。

 当時は筋トレもやりたかったんですけど、あまりやらないようにしていました。まだ成長期にあったので、あまり筋肉をつけてしまうと身長が伸びなくなってしまうので。でも、こういった挫折を機に「フィジカルで負けたくない」と思って、筋トレを始めました。その成果が先に伝えた秋の国体優勝という結果に表れたので、また自信を持つことができましたね。今の"速くて強いプレースタイル"の原点でもあります。

速さと強さ。相馬は自身のスタイルをこう形容する。多くのサポーターやメディアは彼の"速さ"は重々承知だろうが、"強さ"に言及するのはあまり見たことがない。ただ、振り返ってみると大学リーグでもプロの舞台でも、彼が球際の競り合いでなすすべなく負けるシーンや、倒れ転げる姿を、見たことがない。

 速いというイメージが強いと思いますが、自分では"強い"とも思っています。当たり負けもそこまでしないですし。速くて強いに加えて、身長が低いので"潜れる"という武器もあります。高2の時くらいに、養和にブラジルのサッカーが好きなコーチがいたのですが、リーグの映像をよく持ってきてくれたんです。そこで感じたのがブラジルの選手は手を使って潜り込むのが上手いということ。それを真似して、パワーを加えたのが自分の良さだと思っています。馬力と言うんですかね。ネイマールほどは上手くなくても、馬力で突破できるのであれば、それでいいかなと。結構ドリブルの時は手を使っていますね。

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初のグランインタビューは、早稲田大学東伏見キャンパスの教室での45分間だった。
4年間、心身を磨いた学生時代。最終学年は特別指定選手となったグランパスとの「二足のわらじ」を履いて、縦横無尽にピッチを駆け抜け、サポーターに存在感を見せつけた。

学生からプロへの通過点。これまでの「歩み」を振り返る表情には、新たなステージへの決意がにじみ出ている。

背番号27の姿は...。続きは『Grun』2019年3月号をぜひご覧ください。

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