楢崎正剛選手 中日新聞コラム「ゴールマウスから」

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第3回「継続する難しさ」(『中日新聞』7/21掲載)

淘汰(とうた)の激しいサッカー界で、一つのクラブでプレーし続けるのは容易ではない。やる気を保つのは難しいし、チームの盛衰がプレーに影響を及ぼすことも。イタリア1部リーグのローマで「王子」と呼ばれたトッティが引退したとの報に触れ、改めてそれを考えさせられた。

直接会ったことはないが、同じ1976年生まれのトッティは気になる存在だった。彼の退団セレモニーをテレビで見ながら、16歳のデビューからローマ一筋のキャリアに感じ入るものがあった。

経営難で消滅した横浜フリューゲルスから99年に名古屋に移籍した僕も、それから同じクラブでプレーを続ける。当初、これほど長くなると想像もしていなかった。

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海外移籍を考えたこともある。2000年シドニー五輪、02年ワールドカップ日韓大会のころ。当時の日本代表監督だったフランス人のトルシエさんは日本人GKの力量に懐疑的だった。それが悔しくて、少しでも自分を成長させたいと海外への道を探った。

最後尾からのコーチングが求められるGKには言葉の問題がつきまとう。だから英語も学んだ。スペイン1部リーグのクラブからの獲得報道もあったが、実際は主要リーグより1ランク下のリーグへの移籍が現実的な目標だった。

結局、さまざまな要因や自分の実力不足もあり、移籍することはなかった。トッティにも何度か移籍話があったと聞く。お金だけではなく、プロとして能力が最大限発揮できる場がどこかと悩みながら、同じユニホームをまとい続けてきたのだと思う。

僕は名古屋に残ったことで10年に目標のJ1制覇を果たせた。悔しいことも多かったが、自分の歩んだ道に何も後悔はしていない。クラブへの愛着は時を経るごとに沸き上がるもの。トッティが最後に流した涙には、彼のサッカー人としての生き方が凝縮されていたのではないか。(元日本代表、名古屋グランパスGK)

◇4/27より中日新聞で掲載が始まりました楢崎正剛選手によるコラム「ゴールマウスから」、J1最多試合出場(631試合)を誇り、日本代表としても長くゴールを守ってきた楢崎選手が、豊富な視点からサッカーについて語ります。中日新聞にて随時掲載、ぜひお楽しみにください。