月刊グラン6月号のご紹介[風間八宏監督のマンスリー・セレクション]
YAHIRO KAZAMA
MONTHLY SELECTION
風間八宏監督のマンスリー・セレクション
新天地(中) 広島、再びドイツ
自分の「目」を確かめたい
大学卒業後、ドイツに渡りプロ生活をスタートさせた風間八宏監督。Jリーグ開幕前夜ともいえる80年代では異例であった行動には、大きな壁が立ちはだかり、「どん底」を経験した5年間だった。さらなる高みを目指し「新天地」を求め続けたぶれないサッカー人生。その一瞬一瞬が、指導者としての血肉となっている。
日本リーグ2部からの誘い
前回はドイツでの5年間を駆け足で紹介しました。高くなっていた鼻をへし折られ、そこから気づきを与えられた貴重な時間でした。僕が22歳の時の自分を見たら怒りたくなるとも思うけど、その時は練習で怠けることもなく、一生懸命やっていたんです。ただ、やればやるほど監督とは逆の方向へ向かっていました。最初のクラブだったレバークーゼンで、左のアウトサイドというポジションをずっと拒否していました。当時は真ん中にこだわっていたので。でも、レムシャイトに移籍して、レバークーゼンと試合した時に、左のアウトサイドで5アシストして6-0で勝ったんです。レバークーゼンの監督がレムシャイトの監督に「風間をどうやって手なづけたんだ?」って聞いたら、レムシャイトの監督が「風間はチームで一番信用できる選手だ」って言ってくれたのです。結局は自分次第。レバークーゼンでの自分が悪かったということです。
80年代に「欧州組」という言葉はもちろんなく、今とは逆に一度海外に行くと日本代表に呼ばれることはありませんでした。契約には立会人もなく、すべて自分で対応していたので、協会も契約内容について分からなかったはずです。今のようにインターナショナルマッチデーもありませんでしたし、まだそういう時代ではなかったということです。
ドイツにいる間に、ベルギーの上位クラブやフランスの1部チームからも誘いがありました。しかし、ドイツの高いレベルでプレーしたかったので断っていました。でも、5年経ってみると、上のリーグがあることは分かっていたのですが、「そろそろ飽きたかな」という思いが湧いてきました。この間、日本のいくつかのチームから誘いがありました。中でも5年間、断り続けても毎年ドイツに来てくれたのが、日本リーグ2部のマツダで総監督を務めていた大学の先輩でもある今西和男さん(サンフレッチェ広島総監督、FC岐阜社長などを歴任)でした。
沸き上がってきた「疑い」
日本に住んでいたころ、マツダの本拠地である広島というのは遠いという印象で、自分の頭の中に広島でプレーするという選択肢はありませんでした。ただ、一度ドイツに出てしまうと、そういう考えもなくなっていました。ドイツもそろそろいいかなという想いが出てきた中で改めて今西さんが来て、会社もいろいろな条件を整えて、どうしても日本一になりたいと頑張っている。そのために外国人のプロ選手じゃなくて日本人のプロ選手を見せたいと声をかけてくれたんです。タイミングもあるけれど、マツダは本気だし、場所を変えるのもありだなと心が動いて日本に戻ることにしました。
高みを目指して駆け抜けたドイツでの5年間を経て日本で戻ることを決断した風間青年を待ち受けていた「疑い」とは...。
続きは『Grun』2017年6月号をぜひご覧ください。
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