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Episode.1 リーグ初優勝の糧となった、元日の大敗

古くからの戦友であり、しのぎを削ってきたグランパスとガンバに、ある種の因縁が生まれたのは2010年の元日だったといえるかもしれない。2009年シーズンの最終戦。ガンバはシーズン最後のタイトル獲得へ、一方グランパスはストイコビッチ監督の初タイトル獲得へ向け、トーナメントを勝ち上がっていた。リーグ戦では2戦2勝とグランパスが圧倒。ACLで日本勢最高となるベスト4に進出した勢いを駆って、赤のユニフォームは国立競技場に乗り込んだ。

だが、結果は無残なものだった。スコアは1-4。完敗だった。前年にアジアを制し、クラブワールドカップでマンチェスター・Uに打ち合いを挑んだ相手は、やはり強かった。完膚なきまでに叩きのめされた試合後、中村直志はスタンドのサポーター席をじっと見つめていた。「サポーターに支えられてやってきたから、サポーターのために優勝したかった」。その思いは翌年、さらなる大願成就につながる原動力となる。

2010年、グランパスは天皇杯の口惜しさを胸に、新布陣4-3-3を駆使してリーグを席巻。奇しくも開幕戦はガンバのホームゲームだったが、ケネディと玉田圭司の活躍で2-1の勝利。元日のリベンジから快進撃が始まった。18節で首位に立つと、そこから一度もその座を明け渡すことなく1シーズン制での最速優勝。ホーム瑞穂でも中村の得点などで3-1と圧倒し、ガンバへの雪辱もきっちり果たしている。

Episode.2 20周年記念試合「The Match」の悲劇

2012年8月18日は、名古屋グランパスにとって晴れの日となるはずだった。チーム創立20周年となるシーズンの中で、同じオリジナル10のライバル・ガンバ大阪とのホームゲームを記念試合に設定。「The Match」と称された一戦のために黒ベースの特別ユニフォームまで用意した。田中マルクス闘莉王の出場停止をはじめチーム状態は決して良いとは言えなかったが、自らが定めた記念日を勝利で飾るべく、チームは意気込んでいた。

だが、待っていたのは悪夢のような惨敗だった。CKから先制点を奪われると、前半終了間際に試合が壊れる。ガンバのカウンターを止めようと体を投げ出した増川隆洋のプレーがファウルとなり、主審はレッドカードを提示。このファウルで得たPKを遠藤保仁に決められると、以降はガンバが試合を支配した。後半にはさらに3失点し、結果は0-5。試合後のピッチに容赦ないサポーターの怒号が降り注いだのは言うまでもない。1993年、Jリーグ開幕戦で鹿島アントラーズに喫した敗北と同じスコアが、20年目にも刻まれたのは偶然か、必然だったのか。

実は前年の2011年のホーム瑞穂での対戦では、グランパスが中村直志と藤本淳吾の活躍で4-2と快勝。この結果によりガンバは優勝争いから脱落したという経緯もあった。やられたら、やり返す。赤と青の因縁はここにきて決定的となり、互いを“宿敵”と認め合うようになったのである。

Episode.3 かつては青の、そして今は赤の“名将”

今季の名古屋グランパスvsガンバ大阪に熱視線が注がれる理由はただ一つ、と言ってもいいだろう。2014年開幕時点でJリーグ通算244勝。うち172勝をガンバ時代に挙げている名将・西野朗の存在である。ガンバではリーグ、ナビスコカップ、天皇杯の国内タイトルはもちろんのこと、2008年にはアジアチャンピオンにも輝きクラブワールドカップにも出場している。攻撃サッカー=西野朗のイメージを確たるものとした栄光の10年間を、本人もガンバの選手・サポーターも忘れることはないだろう。

その指揮官が、赤のライバルチームを率いて豊田スタジアムで待ち受けているのだ。ガンバにとってこれほど燃えることもない。クラブに脈々と受け継がれる攻撃のDNAが、恩師に牙をむくのである。

無論、グランパスとて黙って見ているわけがない。新主将を引き受けた闘将・田中マルクス闘莉王や小川佳純をはじめ、“The Matchの屈辱”を経験した選手たちがいる。彼らは西野監督の信頼を受け、チームを束ねるリーダーとなった。今回は順番から言えば、グランパスのリベンジマッチである。いまだ降格経験のないオリジナル10としても、J2昇格組に遅れを取るわけにはいかない。

“西野朗”を媒介とした化学反応がもたらすものは激戦か、それとも――。赤と青のライバル関係は、ここから次なるステージに突入する。

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