“フリューゲルス”の守護神
楢崎正剛のプロキャリアは横浜からスタートした。
奈良育英高3年次には高校屈指のGKとしてチームを全国ベスト4に導き、鳴り物入りで横浜フリューゲルスに加入。
1年目から23試合に出場するなどいきなり頭角を現し、デビュー2年目にして早くもJリーグベストイレブンに選出。4年目の1998年にはすでに100試合出場を達成している。
同年にはフランスワールドカップに参加するなど飛躍の年でもあったが、クラブが横浜マリノス(当時)に吸収合併されるというJリーグ史上に残る悲劇もまたこの年のこと。
彼らはチームの存続を願って天皇杯優勝まで勝ち取る快進撃を見せたが、思いは届かず。
翌年、「喜べない優勝」の栄冠と「フリューゲルスの守護神」という記憶を持って、楢崎は名古屋への移籍を決意することになる。