キャンプ5日目となる、今日2月11日は祝日とあって、朝から多くの人たちがグランパスの選手を一目見ようと、ここ紀三井寺競技場に詰めかけてきた。いつもより開始時間を30分早め、DF組が9時からの練習に集合。グラウンドに到着すると、早速、お馴染みのボール回しでウォーミングアップ開始。
9時〜:
 3名1組に分かれ、片方の組がボールをキープ、これを相手の組が寄せてくるので、これを背中でガードしながらのキープ、次に、今度は寄せていた組の選手がボールをインターセプト、そして、競り合いながら上げたボールを頭でクリアといったメニューをどんどんこなしてゆく。
1班:パナ・富永(英)・氏原
2班:古賀・深津・海本(弟)
3班:大森・ヨンデ・森
9時30分〜:
 次に、2名1組になり、攻守に2対2で分かれて、片方がドリブルで仕掛けてシュートまで持ってくるので、距離(約2m)を意識しながら押さえ込む、というもの。ヨンデと氏原が攻撃側の役を多く受け持ち、激しい当たりに幾度と無く倒されていた。この日は天候が今ひとつで、スタート当初は、時折薄日が差したものの、途中からは
どんよりとした厚い雲に覆われていた。
9時45分〜:
 引き続き2対2に分かれ、今度はサイドからゴール前へボールを1人が放り込み、これに対しての、相手選手への体の寄せ方やボールに対する入り方などを何度も確認していた。ちょうどこの頃から、FW・MF陣が到着する。先日の練習試合で左足に違和感を感じた滝澤及び藤田は、この日は海本(兄)とともに、別メニューへ。
10時〜:
 今度は3対3+GK(伊藤コーチ)による、パス回しからシュートまでをシミュレート。先ほど同様、攻撃側にはヨンデ・氏原・森が入り、守備側は、大森・パナ・古賀の組と海本(弟)・富永(英)・深津の組が交代でマークの受け渡しや相手選手との距離を意識しながら汗をかいていた。約10分ほど集中して行われた後は、マットを使って入念にストレッチングでクールダウン。今日は日差しもないことから、気温もあまり上がらず、コーチ陣も、今日はいつもより念入りにやるように、と声をかけていた。
10時15分〜:
 小グループに分かれてのボール回しで体を温めた選手達が集合。FW・MF陣の練習がスタート。全員による軽いストレッチングの後、早速、3名1組になって、ピッチを広く使って、右回りでボールをドリブルで回しながら、一人が右サイドからゴール前にボールを放り込み、これを中の選手が折り返して、このボールにもう一人が詰める、という形を互い違いで順に行う。
10時35分〜:
 攻撃2名に対し、DF1名及びGKが入りパスを回しながらのシュートまでを約10分程繰り返すと、今度は、ピッチ半面を使って、攻守6名づつに分かれ、ボールを回しながらポジション取りを意識しての動きを繰り返す。
10時45分〜:
 今度は全員が入って、ピッチ半面を縦に使ってミニゲームを行う。
A班:楢崎・吉村・ヴァスティッチ・藤本・平林・原・ウェズレイ
B班:本田・岡山・渡辺・山口・北村・片桐・松山コーチ
狭い中でのプレーを必要とされるため、早いパスできたボールをトラップミスしてしまう場面が何度か見られ、選手達に疲れがたまってきているのが見受けられた。そんな中、相変わらず原が元気だ。サイドに何度か出たボールに拾いに入っては中に繋いだり、ゴール前に果敢に飛び込んだりと、労力を惜しまない動きが印象的だった。
11時15分〜:
 マットを使って全員がクールダウンを行うが、何人かが、ふくらはぎや足首に張りを感じたり違和感を訴えたりと、そろそろ疲れがピークを迎えてきているようだ。そんな中で、山口は1人残って居残り練習を、片桐はインターバル走を黙々と行っていた。

 本来ならば、午後もピッチを使ってのトレーニングのはずだったが、昼頃から降り出した雨がいっこうに降り止まず、雨足がこの時間になっても衰えないため、急遽、メニューが変更、ホテルから約10分ほどの地元のスポーツジムを借りて、筋トレを実施することとなった。
16時〜:
 据付のマシン(エアロバイク等)を使って汗をかく選手や、マットを使ってじっくりと疲れた筋肉をいたわる選手など、約30分ほどの時間を思い思いに使って、メニューをこなしていく。
手術で今回のキャンプに参加できなかった中谷と平岡も、怪我の原田とともに元気な顔を見せ、マシンを使っての軽いリハビリを行っていた。
16時30分〜:
 今度は全員でエアロビクスのフロア内でマットを使って、じっくりと筋トレを行う。途中2名に分かれ、力比べをさせる等、ほとんど緊張感は無く、リラックスな雰囲気もあり、疲れていた選手達にとっては、今日の雨は恵みの雨となったようだ。その後はプールで軽く泳ぐ選手とジャグジーに分かれ、まさに体と気持ちとをしっかり癒して、ホテルへと戻ることに。明日の練習試合を控え、疲れからか体に違和感を持つ選手も目立ち始めた時だっただけに、つかの間の休養となったといえる。